『夜はやさし』 (F.スコット・フィッツジェラルド)

図書館で、『夜はやさし』の新訳(2008年5月発行、森慎一郎訳)を発見。
巻末には、村上春樹の「器量のある小説」と題した解説も掲載されている。

『グレート・ギャツビー』が読者をすっぽりと手中に収めてしまう作品であるのに対して、『夜はやさし』は読者に「余地」を大きく委ねた小説である、ということもできるだろう。

…『夜はやさし』はそれとは逆だ。いくつかの時代を超え、曲折や浮沈を経て、黙殺や誤解をくぐり抜けて、ようやくその真価が一般に認められることになる。このような小説をみつけることはとてもむずかしい。だからこそこの小説は大事な意味を持っているのだと思う。僕が「この作品には器量がある」というのはそういう意味だ。器量というのは、あるいは歳月の経過を通して、結果的にしか浮かび上がってこないものなのかもしれない。

訳者によるあとがきでは、二つ存在するバージョンについても言及されている。(今回の新訳は、オリジナル版を選んでいる。これまでの日本語訳は、改訂版に基づくものだった。)

…改訂版『夜はやさし』はいわば未完の作品である。一方、オリジナル版は、とにもかくにもいったんは完成品として世に出たものだ。原書のテクストで現在手に入るものの大半がオリジナル版に戻っているのも、この点の考慮が働いた結果のように思える。

自宅に戻って本棚から20年前の「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」(村上春樹著)を取り出し、その中の「『夜はやさし』の二つのヴァージョン」を読む。

…彼の誠実さのおかげで、我々は今日二種類の『夜はやさし』を目にすることができる。ひとつはオリジナル版の三部わけの『夜はやさし』であり、もうひとつは1951年に発表された改訂版による五部わけの『夜はやさし』である。
…この1951年の改訂版は彼の残した簡単な指示に従って文芸批評家マルカム・カウリーが編纂しなおしたものである。
…もっともカウリー自身はこの改訂にあたてはおおいに悩んだようで、ペンギン・モダン・クラシックスに寄せた序文の中でこのように述べている―
「作者にとっての決定版が即ち読者にとっての最良の版であるのか、という疑問は残った。おそらく私がその最初の形を愛していたせいだろうが、(彼の指示に従って編纂しなおす)決心をするにはすいぶん時間がかかってしまった」

同じく本棚から角川文庫版『夜はやさし』(谷口睦男訳)を取り出し、解説を拾い読みする。

…とにかく作者生前の意図に従って再構成された修正版が、「決定版」と銘打たれてスクリブナー出版社から出版され、イギリスでも同じく「決定版」としてグレイ・ウォールズ・プレス社から出ており、今後長くこの小説の定本として流布すると思われるので、この翻訳はそれに拠ることにした。
(昭和35年、1960年)

しかし、現在のスクリブナー・ライブラリー・ペーパーバックは、オリジナル版になっているそうだ。

翻訳の旬も時代の流れと共にあり風化していくものだが、つまり、50年程の歳月を経たことで『夜はやさし』の定本は修正版からオリジナル版に戻ってきたということのようだ。

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