教祖の文学 (坂口安吾)

 然し、ここに作家というものがある。彼の読書は学ぶのだ。学ぶとは争うことだ。そして、作家にとっては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ。小林が西行や実朝の詩を読んでいるのも彼等の生きた翳であり、彼等が生きることによって、見つめねばならなかった地獄を、小林も亦読みとることによって感動しているのだ。
<中略>
 生きた人間を自分の文学から締め出してしまった小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ、私が彼を教祖というのは思いつきの言葉ではない。

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