閉された言語空間(江藤淳)

「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」

・・・私は、自分たちがそのなかで呼吸しているはずの言語空間が、奇妙に閉され、かつ奇妙に拘束されているというもどかしさを、感じないわけにはいかなかった。
 いわば作家たちは、虚構のなかでもう一つの虚構を作ることに専念していた。そう感じるたびに、私は、自分たちを閉じ込め、拘束しているこの虚構の正体を、知りたいと思った。現行1946年憲法第21条が、言論・表現の自由を保障しているところを思い出してみれば、おそらく憲法すらこの虚構の一部分を構成しているにちがいなかった。
(「第一部 アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか」 P.10)

以下に、合衆国憲法からの抜粋記述がある。

修正第一条(宗教、言論、出版及び集会の自由)
連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは宗教の自由なる礼拝を禁止することを得ない。また言論及び出版の自由を制限し、あるいは人民の平穏に集会をし、また苦痛事の匡救に関し政府に対して請願をする権利を侵すことはできない。
(「第一部 アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか」 P.57)

こちらは、ポツダム宣言からの抜粋。

十、吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜を虐殺せる者を含む一切の戦争犯罪人に対して厳重なる処罰を加えらるべし日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。
(「第一部 アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか」 P.147-8)

にもかかわらず、戦後の日本ではGHQのCCD(米軍民間検閲支隊)による検閲が巧妙に非公式に実施された。

いったんこの検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、CCDが消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊をつづけ、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝されえる。それこそまさに昭和五十七年(1982)夏の、教科書問題のときに起った事態であることは、あらためてここで指摘するまでもない。
(「第二部 アメリカは日本での検閲をいかに実行したか」 P.345)

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