監視と処罰(ミシェル・フーコー)

それまでの権力はむしろ自分を見せつけることに意を配っていたのに対し、近代の権力は逆に身を潜め、むしろ対象のほうを目に見えるものにする、とフーコーは言う。これにより、人間はつねに権力からのまなざしを意識することになり、権力は意識として内面化される。
(「フーコー・ガイドブック」 P.71)

現代社会は「1984」のような中央集権の監視社会ではなく、より複雑な相互監視を権力装置とする社会であり、バーチャルなネット社会もこの構造の例外ではない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中