閉された言語空間

大塚英志の「サブカルチャー文学」を読み進めるうちに江藤淳への関心が高まる。
村上春樹は、日本近代文学に自分(の作家性)を接木する上で江藤淳を参照点としたらしい。
プリンストン大学に滞在する過程で日本文学を再発見する、というプロセスまで模倣した。

近くの図書館で江藤淳の「アメリカと私」を探すが見つからず「リアリズムの源流」を借り、収録されているいくつかの評論を読む。
書店で文庫を物色。「夏目漱石―決定版」もあったが、「閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」のほうに興味がいく。
「閉された言語空間」というキーワードは重要だ。
見えない検閲はフーコーの言説ともつながってくるだろう。
歴史の源流を辿ることで見えてくる現在。
Google一色になりつつあるネットの言語空間を相対化する上でも重要な視点だと思う。

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