エッセ・クリティック(ロラン・バルト)

  • 書くこと、それは或る意味で「死者のように寡黙に」なること(p.17)
  • 作家(友人)とは、語ることが直接自分自身の 言葉(パロール)を聴くことである人間のことだ。(p.17)
  • 作家に残されているのは変奏と結合という 活動しかないからだ。(p.18)
  • おそらく批評家とは小説の「彼」を産み出し えない者であり、しかしまた、「わたし」を純然 たる個人的生活のうちに投げ棄てておくこと のできない、すなわち書くことを断念できない 者のことである。(p.23)
  • 一言でいえば、人類学的視点からするならば作家-著述家とは、 まさに除外されたことによって全体に組み入れられる被除外者であり、 かの「悪魔」の末裔なのだ。社会総体に占める彼の役割は、おそらく クロード・レヴィ=ストロースが「呪術師」に付与した役割と無関係では ないだろう。それは相補性という役割である。呪術師も知識人も、 健康の集団管理に必要な病いをいわば固定する者なのだ。(p.205)
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エッセ・クリティック(ロラン・バルト)」への2件のフィードバック

  1. ロラン・バルト対竹下登

    「文」は階級的である。支配があり、内的制辞がある。こうして、完結に到る。どうし

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